とある心理学者が、幸運だと感じている人と不運だと感じている人の違いを検証したそうです。 それぞれの人たちに新聞を与え、新聞の中に写真が何枚あるかを答えるよう要求しました。 自分を不運だと感じている人たちはこつこつと写真を数え続け、平均約2分で答えました。 対して幸運と感じている人たちは、たったの数秒で写真の枚数を答えたのです。なぜでしょう。 実は、彼らはその新聞の2ページ目に「43枚の写真があります」という一文を見つけたのです。 ![]() その記事は、不運だと感じている人たちは、数えることに集中しすぎていたと述べています。 目的としているものを探し出すのに執着しすぎて、視野が前方一点に集中していたのでしょう。 目的以外のものが視野に入っても、価値を直ぐに判別する能力に欠けているのかもしれません。 その記事では、新聞の求人広告で仕事を見つけようとする人の例を挙げて説明していました。 不運だと感じている人は望みの仕事に執着するあまり、他の良い仕事を見落としてしまう、と。 翻って、自分は何でも上手くいくと感じている人たちは、自由度が高く、柔軟なのです。 目的のものを探すのに余裕があり、視野に飛び込んできた別のものの価値も判別出来ます。 最終的に目的のものが見つからなかったとしても、次に価値があるものの存在を覚えています。 道を引き返して、次に価値があるものの所まで戻っていくのに、何の不満も不安もありません。 そしてこう言うのです。「こんなに良いものが見つかるなんて、本当に上手くいった」と。 僕はどちらかというと物事のやり方に柔軟性が無く、前方の一点しか目に入らない方です。 始めから上手くいかないと気落ちして、イライラしたりウンウン脂汗をかいてしまうのです。 逆にウチの彼女はとても柔軟です。楽観的すぎて、僕からすれば不安になるほどです。 彼女は度々「こうしたら大丈夫」と言うのですが、何が大丈夫なのかさっぱり分かりません。 自分は不幸だと感じている僕と、いつも幸福だと感じている彼女。変な二人です。 ![]() そんな変な二人も、いつもいた街を離れ、かつて住んでいた街にまた戻ってきました。 だから「カツテいた場所。イマいる場所。」はこの回でお終いです。合計で646回となりました。 日記って、つまらないことでも重ねていけば、案外書き続けることが出来るものなんですね。 終わることに一抹の寂しさも感じますが、時間が流れ、住む所が変わりました。だからお終い。 今後は「カツテいた場所。イマいる場所。」とは別の所で、人生が続いていくことになります。 by x24070ki | 2011-07-04 12:59 | 日常/カツテいた場所
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