とある心理学者が、幸運だと感じている人と不運だと感じている人の違いを検証したそうです。 それぞれの人たちに新聞を与え、新聞の中に写真が何枚あるかを答えるよう要求しました。 自分を不運だと感じている人たちはこつこつと写真を数え続け、平均約2分で答えました。 対して幸運と感じている人たちは、たったの数秒で写真の枚数を答えたのです。なぜでしょう。 実は、彼らはその新聞の2ページ目に「43枚の写真があります」という一文を見つけたのです。 ![]() その記事は、不運だと感じている人たちは、数えることに集中しすぎていたと述べています。 目的としているものを探し出すのに執着しすぎて、視野が前方一点に集中していたのでしょう。 目的以外のものが視野に入っても、価値を直ぐに判別する能力に欠けているのかもしれません。 その記事では、新聞の求人広告で仕事を見つけようとする人の例を挙げて説明していました。 不運だと感じている人は望みの仕事に執着するあまり、他の良い仕事を見落としてしまう、と。 翻って、自分は何でも上手くいくと感じている人たちは、自由度が高く、柔軟なのです。 目的のものを探すのに余裕があり、視野に飛び込んできた別のものの価値も判別出来ます。 最終的に目的のものが見つからなかったとしても、次に価値があるものの存在を覚えています。 道を引き返して、次に価値があるものの所まで戻っていくのに、何の不満も不安もありません。 そしてこう言うのです。「こんなに良いものが見つかるなんて、本当に上手くいった」と。 僕はどちらかというと物事のやり方に柔軟性が無く、前方の一点しか目に入らない方です。 始めから上手くいかないと気落ちして、イライラしたりウンウン脂汗をかいてしまうのです。 逆にウチの彼女はとても柔軟です。楽観的すぎて、僕からすれば不安になるほどです。 彼女は度々「こうしたら大丈夫」と言うのですが、何が大丈夫なのかさっぱり分かりません。 自分は不幸だと感じている僕と、いつも幸福だと感じている彼女。変な二人です。 ![]() そんな変な二人も、いつもいた街を離れ、かつて住んでいた街にまた戻ってきました。 だから「カツテいた場所。イマいる場所。」はこの回でお終いです。合計で646回となりました。 日記って、つまらないことでも重ねていけば、案外書き続けることが出来るものなんですね。 終わることに一抹の寂しさも感じますが、時間が流れ、住む所が変わりました。だからお終い。 今後は「カツテいた場所。イマいる場所。」とは別の所で、人生が続いていくことになります。 石垣島の空港から飛行機が飛び立つと、眼下には八重山群島を囲む巨大な珊瑚礁が広がります。 珊瑚礁がこんなにも大きいとは。珊瑚礁の突端が石垣島から西表島までずっと伸びていました。 僕は、珊瑚礁というものは一つの島を囲んで完結するものだと思っていたので、びっくりです。 石垣島は一日で一周出来てしまうほどの大きさで、人口もたった4万5千人しかいません。 それでも、八重山諸島は島だけで世界と社会を作り、人々は生活を営んでいました。 ![]() 飛行機は那覇で一度着陸し、燃料を積み増しした後、午後4時過ぎにもう一度飛び立ちます。 夏至を過ぎたばかりで、太陽はまだ高い位置にあり、海から山まで広がる街を照らしています。 いつもいた街で生活していた5年間、僕は出掛けるのに、何度飛行機を使ったか分かりません。 僕は飛行機に乗るのが好きではありません。何時間も同じ姿勢を強いられ、とても退屈です。 エンジンの騒音と機内サービスが目障りで、思索をじっくりまとめることも出来ません。 それでも、こうやって上空から街と街の違いを見つけると、興味深く感じるものです。 那覇は同じ沖縄とは言え、石垣島とは風景が全く違います。背の低いビルが並んでいます。 平地のビルも山の中腹にあるビルも、壁が白くて、南国の風情をうまく作り上げています。 石垣島の街は、内地の田舎町同様パッとしません。電話局の電波塔だけが目立っています。 ただ、人々の生活の営みは緑の中にありました。紺碧の海に寄り添っていました。 6時近く。2時間近く飛んだ飛行機は再び高度を落とし、目的の空港まであと少しとなりました。 終にこれから僕たちが生きていく街が見えてきました。港湾、巨大な橋、海沿いの工場地帯。 住宅地も果てしなく広がっています。今まで何度も、上空からこの風景を見てきたはずです。 でも不思議なことに、以前とは違って見えたのです。きっと僕の心持が違うのでしょうね。 案外一軒家が多いものです。どの家の屋根も黒くて、黒が向こうまでずっと覆っていました。 ![]() そう言えば、石垣島にいる間、遊びに夢中になって、実家と連絡をとっていませんでした。 空港まで家族が迎えにきてくれることになっているのですが、誰が来るのか確認していません。 母は、その日は友だちとサクランボ狩りに行く予定だから、迎えにいけないと言っていました。 一回誘いを断ると、以降なかなか誘ってもらえなくなるそうです。ごめん、と謝っていました。 そうなんです。これから僕たちが生きていく街は、人間関係がちょっと複雑なんですよね。 朝、目が覚めて、窓の方に顔を向けると、朝日がいつものようにカーテンから漏れています。 これまでと違い、光の色が温かく、部屋に飛び込んでくるのに勢いが違うことに気付きました。 嗚呼、冬が過ぎ、春がやってきたんだと思いました。そして、それが不思議に感じたのです。 今回、いつもの街から帰ってきたのが10月で、あれから秋が過ぎ、冬が過ぎ、春になりました。 前回までの帰省は長くても4週間ほどでしたから、季節を跨ぐことなんてなかったんですね。 ![]() 3月10日、いつもの街へ戻る日となりました。 母のマーチにスーツケースを二つ積み込みます。どちらも特大のもので、何でも入ります。 実は、これにいつもの街にある僕たちの荷物を詰め込んで、夏に引き揚げるつもりなのです。 10月に実家に戻ってきた当時は、引き揚げる気なんてこれっぽっちもありませんでした。 いつもの街へ戻る気満々だったのです。ところが、事情が大きく変わってしまいました。 この4ヶ月間、僕とウチの彼女は、今後どうするべきかについて答えを探し続けました。 僕も、今の仕事が伸びていくのはこれからだと信じていましたから、とても離れられません。 今まで時間をかけてパーティーの準備をしてきたのです。これから盛り上がっていくはずです。 僕は食前酒には口を付けたけど、前菜はまだですし、料理に至っては姿すら表していません。 それなのに帰らなくてはいけないなんて。何とか留まる方法が見つからないかと悩みました。 小さなマーチの小さなトランクに、まさか特大スーツケースが詰めるとは思いませんでした。 もう一つは後部座席に積み、母がその横に座ります。助手席にはウチの彼女が座っています。 僕がハンドルを握り、平日の自動車専用道を進んでいきました。トラックが沢山走っています。 空港が近づくと、春の風がビュンビュン吹き、マーチはハンドルをとられてよたよたします。 上り坂に差し掛かりました。遠くに青い海が見えました。空港はあの海の手前にあります。 ![]() 4ヶ月は短い時間ではありませんでした。色々経験しましたし、沢山の人と知り合いました。 両親や妹の家族とゆっくり過ごせたことも、4ヶ月という長い時間があったからこそですね。 そうそう、Joyと遊んでいて、こんなことがありました。僕はJoyを背中におぶっていました。 そして喜ばそうと思って軽く走りだしたのです。案の定、Joyはキャッキャと弾けました。 その時、こう言ったのです、「なあな、大好き」。こんなこともあった4ヶ月間でした。 どきどきします。この歳になっても、こんな感覚が味わえるなんて。 義父の説明によれば、素人の自家現像とは言え、神経質なほど厳密にやる必要もないのだとか。 僕は肩に力が入っていました。きっと目が釣り上がり、三角になっていたに違いありません。 暗室、つまり窓の無い浴室ですが、そこへ向かう足取りも、やたら勇んでいたことでしょう。 まずは灯りがある中で、薬品の準備をしなくては。いよいよ自家現像の始まりです。 ![]() 4つのメモリ付きメスカップに、それぞれ現像液、停止液、定着液、水洗促進剤を入れました。 現像液は、液温によってフィルムの現像速度が変化するので、湯煎にかけて20℃を保ちます。 温度計、メスカップ、薬液。高校の授業で行う実験みたいですが、懐かしんではいられません。 続いて、現像タンクなる小型の筒をばらし、部品を風呂のふたの上に丁寧に並べていきました。 そして、消灯。浴室は、顔の前にもってきた手すら見えないほど、真っ暗になりました。 僕は暗闇の中、ピッカーを使ってケースからフィルムを引っ張り出します。 指先の感覚を研ぎ澄ませ、現像タンク内に入っていたリールにフィルムを巻いていきます。 ここで上手く巻けなければ、フィルムを現像液に漬けた際、むらが出来ることになります。 巻き終えた後、風呂のふたの上に並べた部品を手探りで探し、元の位置にはめて直します。 最後に、フィルムを巻いたリールを現像タンクの中に戻し、タンクにふたをしました。 この後は電気を点けても大丈夫です。タンク内は光が漏れない仕組みになっているからです。 さて、今後は実験の要領と同じで、順に薬品をタンクに注いでいきます。まずは現像液から。 現像液がタンクの中に満ちたら、底を叩き、フィルムに付いたであろう気泡を取り除きます。 ここからが全工程の山場です。1分間タンクを動かして液を撹拌します。そして55秒間の静止。 そしてまた5秒間撹拌して、55秒間静止します。この作業が、結果の良し悪しを決めるのです。 ![]() 規定の時間まで撹拌と静止を繰り返して、現像は終了。続いて停止、定着、水洗と進みます。 この後は、時計をにらむほど厳密に時間を計る必要はないそうで、楽に作業が出来ました。 水洗が終わったら、フィルムを吊るして乾燥させるだけ。僕は慎重にフィルムを伸ばしました。 まだ水滴が残るフィルムに、見事に画が浮き出ています。どうやら上手くいったようですね。 少し紫がかっているでしょうか。濡れたフィルムは、とても艶やかで美しく見えました。 義父からもらったカメラのうち、Yashica-Dだけ修理して、お色直しもして、戻ってきました。 貼られていた革を黒から茶色に換えてもらったのですが、更に見栄えがするようになりました。 それに白黒フィルムを詰め、妹から借りたContax T3にも白黒を詰め、更にBronicaにも1本。 職業写真家ではあるまいし、一度に3台ものカメラを取っ替え引っ替え使い分けるという贅沢。 とは言え、やはり職業写真家ではないので、一度にフィルムを現像に出すお金はありません。 ![]() それで、金銭的に安くあげられるかもしれないと、禁断の自家現像に手を出すことにしました。 写真を趣味にして長いですが、現像なんか自分でするものではないと、ずっと思っていました。 高校時代、授業で化学実験をします。何度やってもさして面白い作業だとは思えませんでした。 同級生は写真部に入り、現像をしていました。白黒写真、真っ暗な暗室、鼻につく薬品の匂い。 当時の僕はどれにも魅力を感じず、化学実験同様の陰気さが気に入りませんでした。 ところがこの歳になって中判カメラの楽しさを知り、フィルムの楽しさを再確認しました。 白黒フィルムって、近所の写真店で現像を頼んでも、出来上がりまでに時間がかかるんですよ。 富士フイルムへ持って行き、やってもらうのだそうです。平気で一週間は待たされちゃいます。 カラーフィルムなら一時間で受け取れますし、店によっては、白黒よりも料金が安いのです。 もう、こうなったら自分で現像するしかありません。 前回、カメラ修理に挑戦し、挫折しています。揃えた道具類は、無用になってしまいました 流石に現像にまで手を出して、また途中で投げ出したら、家族に白眼視されるのは確実です。 現像のための道具を揃えると、どんなに低く見積もっても1万円近くはかかることでしょう。 ここは慎重にならざるを得ません。まずインターネットで情報や個人の体験談をかき集めます。 自分でも出来そうだと判断した後、古本屋に行き、現像に関する資料を買ってきました。 ![]() 幸いなことに、義父は今でこそ植木屋をやっていますが、以前は写真屋を営んでいたのです。 当時、自宅に暗室があり、カラーだろうと白黒だろうと、現像も仕事の一部だったそうです。 さて、現像道具は揃いました。資料にも何度も目を通しました。あとは作業に取り掛かるだけ。 でも失敗したら、Contaxで撮った36枚が全部駄目になるかと思うと、気後れしてしまいます。 それでしつこく義父に質問を繰り返しました。それでもなかなか作業に入れませんでした。 モルトプレーンとはフィルムカメラ等で使われるウレタンのことで、海綿状になっています。 Pen-D3の底ぶたと本体の間の光線漏れを防ぐために貼られているのですが、色が変なのです。 あっ、カビが生えている。これだと、光が漏れてフィルムが感光してしまうかもしれません。 モルトプレーンがボロボロになって散れば、カメラの基幹部が故障することだってありえます。 貴重なPen-D3だっていうのに、嗚呼、何たることだ。 ![]() とは言え、実は、ちょっとだけですけど、カメラ修理に関心がなくもありません。 カメラ趣味にも色々あって、人によっては撮影よりも修理の方が好きな人もいるくらいです。 モルトプレーンの貼り替えは、カメラ修理入門編の初歩の技術で、誰にとっても超簡単なはず。 これなら細かい作業が嫌いで、機械いじりが苦手な僕だって、簡単に出来るように見えました。 それで修理の道具と材料を買っちゃったんです。結局、全部無駄になっちゃったんですけどね。 元のモルトプレーンは底ぶたの内側に、本体の背面の形状に合わせ湾曲して貼ってあります。 僕はそれを割り箸で軽く擦り、剥がすまでは上手くいったのですが、そこから先が全然駄目。 モルトプレーンって1mm厚の板になっていて、カッターで切ろうとしてもしなるんですよ。 刃を当てる、ヘナッ、刃を当てる、ヘナッ、上手く切れない。僕は段々イライラしてきました。 奮闘して、終に何とか切り出したのですが、元のものとは湾曲具合が微妙に違っています。 そんなものを底ぶたに貼ろうとしたって、ずれてしまいますから、またいらいらが募ります。 付ける、ずれる、付ける、ずれる。無理やりくっ付けてみたのですが、きれいにはいきません。 これでは修理する前の状態と何ら変わらず、光線漏れを起こしてしまうことでしょう。 初めから分かっていたことですが、やっぱり、指先でやる細かい作業は僕に向いていません。 買ってしまった道具と材料。捨てるわけにもいかず、またもや不用品が増えてしまいました。 ![]() シャッターが粘るYashica-Dと、モルトプレーンを変な風に貼れてしまったPen-D3。 僕は自分で修理することをあきらめ、東京カメラサービスに全てをお願いすることにしました。 「Yashicaの修理は2万円、Penは1万6千円になりますね」。うわ、合計3万6千円ですか。 幾ら貴重なカメラだとは言え、いきなりそんなにも散財したら、家人に申し訳がたちません。 哀れ、小さなカメラPen-D3。ごめん、次回まで修理待ってちょうだい。 ウチの彼女の実家に戻ってきた時、彼女が大きな衣裳ケースを抱えて、持ってきました。 ふたを開けると、中には金銀財宝がザックザク。全部、義父が使っていたカメラだったのです。 義父は以前、駅前に写真店を構えていたのですが、カメラは全部その時使っていたものでした。 次回、Yashica-Dをあげると義父に言われていましたが、そのYashica-Dも含まれていました。 Yashica-Dとは2眼レフカメラで、1958年、半世紀も前に生産されたものです。 ![]() OlympusのPen-D3もありました。おお、これはハーフサイズカメラじゃないですか。 一般のカメラはシャッターをきると、フィルムに横36mm、縦24mmの大きさの像が写ります。 ハーフサイズカメラは像の面積がその半分、横18mm、縦24mmで写るようになっているのです。 一本のフィルムで一般のカメラの倍の枚数の撮影が出来るので、当時は大変人気がありました。 36枚撮りのフィルムを入れると、72枚もの写真が撮れてしまうことになります。 去年、森ガールなるものが巷では流行したそうで、緩い雰囲気を湛えた女性が増えました。 彼女らは「ゆるいワンピースが好き」「手作りが好き」「雑貨屋巡りが好き」なんだそうです。 そして「カメラが好き」という嗜好もあるそうで、フィルムカメラなんかも好むのだとか。 実は2眼レフもハーフカメラも、外観の特徴から森ガールの皆様に注目を浴びたようなのです。 どちらも旧式のカメラですからね。最新のデジタルカメラと較べれば相当緩いですもの。 僕はBronicaを手にしてからというもの、写真を撮ることが面白くてしょうがなくなりました。 以前、Nikon F5というカメラを持っていました。当時、世界でも有数の高性能カメラでした。 でも、それと較べたってBronicaの方が断然面白いのです。使って良し、写真の出来も最高。 Bronicaと巡り会えて本当に良かった。世界にはこんなにも色々なカメラがあるんですね。 そう思うと、他のカメラ、例えば2眼レフやハーフカメラなんかにも興味が湧いてきました。 ![]() それが目の前にあるのですから、もう僕は嬉しくて仕方ありません。 しかも今流行のカメラを一気に2台も手に入れられたわけですから、嬉しいのなんのって。 どちらのカメラも、衣裳ケースの中に無造作に転がしてあったわりには、状態が良いようです。 パッと見、レンズにはカビも生えていませんし、これなら古いカメラでも写りは十分でしょう。 ただ、PEN-D3の底ぶたを外してみると、黒いはずのモルトプレーンがまだらになっていました。 初めてカメラが欲しくなったのが高校生の時で、一眼レフを買おうと思い立ちました。 当時から僕はひねくれ者で、何を買うにしても、人とは違うものが欲しくなっちゃうのでした。 カタログを並べてああだこうだと検討する過程で、どんどん不人気の製品に惹かれていきます。 あの頃はMinoltaのα-7000が爆発的に売れ、ピント合わせも自動が標準になっていきました。 他のメーカーも直ぐに追随し、発売された新商品はどれも全自動化されていくことになります。 ![]() 高校生のくせして、それが面白くなかったんです。 と言うのも、中学生の時、出たばかりのウォークマンを買って、失敗したのが背景にあります。 買ったのはAiwa製でした。勿論、当時だって携帯型音楽プレーヤーと言えばSonyでしたよ。 暫くして、Aiwaを選んだことを後悔します。と言うのも、音に雑音がやたらと混じるのです。 イヤホーンからテープの回転に合わせてウンウン音が聞こえるので、嫌になってしまいます。 それからですね、10代のくせして、最新という二文字に疑いの目を向けるようになったのは。 あの時素直にウォークマンの本家であるSonyを買っておけば、考え方が違ったかもしれません。 とにかく、僕はカメラを選択する時も、あえてオートフォーカスの製品を候補から除きました。 手でレンズを回すカメラを買おう。でも露出は難しそうなので、自動で合わせてくれるもの。 それで購入したのがRicohのXR-Xというカメラでした。 で、Ricoh XR-X、これがまたいまいちだったんですね。 自分でピントを合わせたくてXR-Xを選んだのに、ファインダーの見え具合が最低なのでした。 レンズのピントリングを回して、結像を確認するのがファインダーの役割なのに、全く駄目。 当時、視力が2.0あった僕がどんなに目を凝らしても、ピントが合ったかどうか分かりません。 これは写真を撮るのに草臥れます。趣味で写真を撮っているのに、疲れちゃうんですから。 ![]() その後、NikonやCanonを試す機会があったのですが、ファインダーに見える像の美しいこと。 嗚呼、人間素直さも大事だな、売れているものって、訳がちゃんとあって売れているんだな。 高校の時学んだ教訓の一つです。でもね、Aiwaのウォークマン事件が残したものは大きかった。 今もよく売れている商品を外して、売り場の隅に置いてあるものを買って、後悔しています。 最近は、もう新商品なんか買わなくなりつつあります。カメラなんか中古品ばっかり。 ループ橋を降りてきて、ずっと進んでいけば、満開の河津桜が咲いている河津川に到着です。 今が3月の初旬だとは思えないほど、桜が咲き誇っていました。それが1km以上も続くのです。 また菜の花もあちこちで咲いています。しかも蛍光塗料を塗ったかのごとく鮮烈な色なのです。 河津桜もソメイヨシノとは違い、とても濃い色をしているので、見応えがあります。 原色に近い色をした河津桜と菜の花。とても見事な競演でした。 ![]() 伊豆半島のほぼ先端にある河津町は、地図を見ると同じ静岡県の御前崎より北に位置します。 渥美半島の伊良子岬はもとより、紀伊半島の串本町なんて、河津よりもずっとずっと南です。 それなのに河津がこんなにも春めいているのは、黒潮が直ぐ近くを通っているからでしょうか。 山に生える木が他と違う気がします。宮崎の都井岬も、確かこんな風に濃い緑をしていました。 橙色の花粉をざんざん飛ばす杉林があります。伊豆が暖かいから、こうも激しいのでしょうか。 義父が地元の人に聞いたところによると、桜を見るなら南伊豆町まで下った方が良いとのこと。 僕たちは海に当った所で左に曲がり、国道136号線を通って、下田市も抜けてしまいました。 南伊豆町の日野交差点を目指します。暫く走っていると、パッと目の前が明るく輝きました。 一面の黄金色が広がっています。菜の花畑でした。陽の光を浴びて、眩しく感じるほどです。 脇に数本の河津桜も咲いています。花鳥風月的風景と言うよりは、原色に近い風景でした。 南伊豆市を流れる青野川沿いに、やはり河津桜が植えられ、出店も設置されていました。 河津町よりも知られていないからか、観光客が少なく、のんびりした雰囲気が漂っています。 陽の当りやすい川の東側では、葉桜になり始めています。風が吹くと、花がパッと散りました。 西側は山の陰になる時間が長いからか、今がちょうど花の見頃で、対岸から見ても見事です。 川は上流にかけて蛇行しています。川に沿って岸も曲がり、桜が遠くまで見通せるのでした。 ![]() 河口から遡上してきたのか、2艘のカヌーがやってきました。 男性が一人、女性が二人、それに犬が一匹。もしかしたら男性がカヌーの先生かもしれません。 男性のカヌーは座る場所が小さく区切られていて、女性二人のはボートのように開いています。 人は勿論のこと、犬までが洒落た救命胴衣を身に着け、女性の膝にちょこんと座っていました。 川から桜鑑賞とは、なんと優雅な。ゆったり進むカヌーは、花見にピッタリでしょうね。 義父の提案で、ここの所色々あったし、近場へ一泊の旅行に出掛けることになりました。 ウチの彼女がインターネットで宿泊先を品定めし、父親とああだこうだと思案しています。 僕は、Bronicaで写真が撮れるならどこでもいいという立場で、二人の会話を聞いていました。 結果、行き先は伊豆の河津に決定。河津はここのところ、旅行会社の広告でよく目にします。 2月に咲く桜が有名です。きっと現地では、団体旅行のバスで渋滞していることでしょう。 ![]() 子供の頃、家族で伊豆へ行ったことがないのは、遠いというのが第一の理由だと思います。 また、母が海へ遊びに行くのは、日焼けするのと潮風で皮膚がべたつくので、嫌がりました。 伊豆の遊び場は海だけではありませんが、夏に旅行するなら涼しい山の方が良いとなります。 その後、僕は大学に上がり一人で暮らすようになると、周囲は関東の人ばかりになりました。 友人たちは抵抗無くすっと伊豆へ遊びに行きます。僕からしたらとても新鮮な感覚でした。 それからと言うもの、事ある毎に伊豆の日帰りや1、2泊の旅行に誘われることになります。 自分一人でも行ったことがあります。2輪車の免許を限定解除した、うららかな春の日こと。 あの時は1100ccのスポーツバイクをレンタルし、西伊豆の沢田公園露天風呂へ行きました。 沼津から海岸沿いのくねくね道を通っていきます。道の両側にある桜はどれも満開でした。 道に敷き詰められた花びらが舞い上がるのがおもしろくて、しきりにバイクを走らせました。 でも、下田まで行ったのは数回きりなのです。下田への道は、とにかく長くて疲れます。 上へ下へ、右へ左へ。海沿いの地形に合わせた道は距離があり、緊張を強いられるのです。 また片側1車線の区間が多く、休日の渋滞にはまってしまうと、どうにも抜けられません。 そんなこんなで、ここ最近は伊豆を敬遠していました。最後に行ったのは何時だったかなあ。 10年以上前にみかん狩りへ行ったきりだったような気がします。 ![]() 久々の伊豆旅行。今回は下田街道を真っ直ぐ、何にも目をくれず一気に南下しました。 わさびアイスも食べません。道の駅にも止まりません。何せ義父にとって伊豆は庭なのです。 去年も義母と親友夫婦の4人で旅行に来ているそうで、詰まらないことは一切しないのです。 下田が近くなってきました。有名なループ橋をぐるぐる回って下っていきます。あっ、桜。 こんな時季なのに、橋の下には濃い色の花を満開にさせた木が、何本も並んでいました。 < 前のページ次のページ >
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